旧生駒トンネル・孔舎衛坂駅 |
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連合会長 酒井 秀和 |
生駒側は明治44年7月5日、日下側は同年7月9日着工致しました。大正2年1月26日、東坑口から700mの地点で延長 18mにおよぶ落盤事故が起こり、152名の人が生き埋めとなり監督1人、労働者19名が不幸にも犠牲となりました。 そして、大正3年1月末に貫通し4月から営業を開始するに至ったのです。 全長3388mの複線広軌隧道は、笹子隧道に次ぐ長さでありましたが笹子は単線狭軌であり、複線広軌としては当時 最初にして最大、最長、他に比類のないものでした。ここに大阪府と奈良県の大動脈が出来上がったのです。遠大な 計画と涙ぐましい努力と大きな犠牲をはらって造られたこのトンネルも昭和39年7月23日に廃止されました。 そのトンネルの西坑口に昔の面影を残す旧孔舎衛坂駅があります。(下写真)大正3年7月17日、「日下駅」(くさか駅) として開業、大正7年には「わしお駅」そして昭和15年6月には「孔舎衛坂駅」(くさえざか駅)と改名されました。昭和15 年は皇紀2600年にあたり神武天皇東征のおり生駒山の豪族・長髄彦(ナガスネヒコ)との激しい戦い『孔舎衛坂の戦 い』があったこの地に因んで、そして神武東征の跡地が文部省によって調査・比定されたことを記念しての改名であり ます。この写真を撮った年月が分からないのが残念ですが「わしお駅」と写っていますから大正7年〜昭和15年までの 間の駅風景でしょう。 |