丹 波 神 社

                                          記 菅原正一

この神社は 江戸時代、大坂西町奉行に任じられ、 河内国 河内郡に三千石を支配する領主となり、この地で没した

曽我丹波守 古祐命(そがのたんばのかみひさすけ)をお祀りしております。

当時は日下村もその一隅に在ったと伝えられております。歴史上 実在した人の霊位を奉斎し遺徳を偲ぶ村人たちに

よって、没後25回忌を記念して墓を建て、後年 その墓碑の上に社殿が建てられ、神社と成りました。領主 在職中

は、村人に有利な検地(農地測量)と共に、干害に悩む村の為に 用水池の築造や、用水樋の付け替え、堤の修理等

の土木工事を「御入用普請」(領主負担)として行い、神社南に在った「御所が池」(平成27年(2027)宅地造成)も丹波

守が築造したと伝えられております。奉行職 退職後は、隠居して日下村の大庄屋 河澄家「現 市 文化遺産指定 旧

河澄家」に住まいし、在職(寛永11年(1634)〜万治元年(1658))24年の一時的な在任中の善政により、村人に感謝さ

れ 、現在も、地域の方から「丹波さん」と親しまれており、中秋の名月には「名月祭」というお祭りも行われています。

 

  丹波神社  
   
   
   八幡神社(丹波神社境内)  
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